日本固有の境界への想いが、ある時には鞋を脱がし、またある時には履き替えさせ、無意識のうちに空間を創り出しています。
ここは内、そこは外。あちらとこちら、浄と不浄…。靴を脱ぐこの国では、履物を置くことで空間を仕切り、構成しているのです。
『JoJo』の誕生から遡ること1年、何かにいざなわれるように、友人とインドの旅へと出かけました。
一年中高温多湿であり、私たちのルーツを感じさせるこの国では、神聖な場や大切な場には素足で入ることが習慣になっています。
朝夕の礼拝堂や、町の食堂など、その入り口には多くの履物が脱ぎ捨てられて散乱していました。そして私の目に止まったのは、その履物のほとんどがビーチサンダルだということでした。
世界中どこにでもあるような安作りのゴムのビーチサンダル。私たちが住む日本と同じように、インドでもビーチサンダルは日常の風景として人々の暮らしに溶け込んでいました。
しかし、この乱雑に脱ぎ捨てられたビーチサンダルの光景は、元来履物が権威の象徴であったこととは裏腹に、まったく美しい姿を見せていません。履物というものは、人々の幸福感や豊かさを象徴したり、足元から権威や美しさを保つことが大切なのでは…?
脱いでなお美しい履物。そんな考え方が何かの一助になるのでは?
そのことに気付いた時、モノゴトの意味と必然をもう一度作り直すことこそが、大切な仕事なのではと思い立ちました。そして、本質を追求ししつつ、まったく新しいビーチサンダルの製作を始める決意のもと、日本に戻りました。
ビーチサンダルはそもそも日本の草履に着想を得たアメリカ人の発案と聞いています。
履物のようにその土地の文化を色濃く映すものを通じて、世界中とコミニケーションができるモノづくりに挑戦することは、一見無謀なことかもしれません。あるいは自分たちの伝統を壊してしまうことになるかもしれません。しかし私はこのビーチサンダルをもう一度日本で再発見することこそが、私たちの新しいスタートになると確信しています。
残すこと、守ることでできること。
新しく始めることでできること。
遠くから近くへ、近くから遠くへ。
解き放ち、引き寄せる潮の調べのように。
今『JoJo』を通じて世界と対話を始めようと思います。
大切なの残すことより繰り返すこと、繰り返す力こそが今必要な力なのです。
医療メーカへのゴムの提供に携わり、特殊技術を産み出す。ゴムに関する知識は業界随一。常に新しい技術の吸収に余念が無い。精度の高い加工技術は多方面より絶大な信頼を集めている。
打ち合わせのたびに教えていただく技術開発秘話は時間を忘れて聞き入ってしまう魅力に溢れ、日本の産業を支える自負、誠実な人柄は物作りに現れている。